2024/05/13 泥 3

月日は流れ、遠いところまで来れば来るほどに、なぜだろう、不思議と言葉はリアルさを増してくる。きっと、人はそんなに忘れないんだ。思い出せなくなるだけで。

リマインド。僕の記憶が確かならば、彼女はいわゆるリケジョで、関西の大学の薬理学に在籍していた。普段は白衣を着て、薬の研究をしているらしい。フラスコと縁なしメガネが似合いそうな、真面目な女の子だ。きっと白衣の下に着ているのはモノトーンのタートルネックで、その上から細いネックレスをつけたりするのだろう。タートルネックの上からネックレスを付けるのは、それを不意に脱ぐタイミングが存在することをあらかじめ想定していない。しかしそんな彼女が、僕と会うときは少し違った。艶っぽい黒髪のボブに、身体のラインがわかるグレーのニットワンピ、黒のタイツにパンプスだった。眼鏡は外してコンタクトにしている。動機がわかりやすい。〝今夜、あなたと過ごすことはあらかじめ決めている〟。表層のあざとさにそう書いてあるようだった。そういうところ、嫌いじゃない。

繰り返しになるが、僕達は夜の22時15分に渋谷駅で待ち合わせた。はじめましてが終電間際だ。つまり、彼女は来る前から確信犯だった。遠方からにも関わらず、その日のホテルすら取らずにやって来た。その上、彼女は会う直前にひとりで “景気づけ” の焼酎を飲んでいたという。お酒が入らないと、てんで駄目なところ。やっぱり嫌いじゃない。

モヤイ像の前で落ち合った後は、一緒に雨の渋谷を歩いて、宇田川町にある夜のカフェで酒を飲み直した。カフェには煙草の煙が漂っている。何を話したかは、まるで覚えていないーーー。あの日、一線を越えぬまま店を何件かハシゴした後、僕達は道玄坂のホテルに駆け落ちた。実験済みの薬の化学反応のように見慣れたものだった。ホテルでのひと時は、どちらかというと感傷的なものだったように思う。詳しいことは覚えていないが、初めて会った日にセックスをした。詳しくは覚えていない。ラブホテルの看板だけは鮮明に覚えている。記憶というものは、どうでもいい情景だけを焼きつけて、肝心なときに何の役にも立たないのだ。

ただ、微かに覚えている。明くる日の朝、僕達は宮益坂で別れた。しかし彼女は程なくして連絡してきた。その日に「もう一度会いたい」と言い出した。これは僕にとっては想定外のことだった。たった今、一夜を過ごしたのに?おそらく2泊3日の日程で東京へ来ていたのだろう。拘泥、それは背中にしがみ付きたいけれど、控えめな文面だった。そういう正直なところも、やっぱり嫌いじゃない。

二度目の時は、彼女は驚くほど素直だった。分かりきった騙し絵のように僕達は再会し、すぐさまホテルに向かった。そして、二日目の夜はここに書くのを憚られるほどに———僕達は何度も何度も繰り返した。そこは沼だった。彼女がソファーの下に跪き、僕を上目で眺めているシーン。跨って揺れる彼女越しに、僕が天井を眺めているシーン。乱れているのに、恐ろしく俯瞰している。本能などという言葉ではとても表せない。まるでお酒が入っていない方が彼女は赤く酔っているかのように、その時に溺れていた。そして気が遠くなるような二日目の夜が終わった。今度こそ演じきり、燃えつくし、そして幕を閉じた。そんな気がした。それはきっともう、この先僕達が会うことはないだろう、と肌でわかっていたからかもしれない。

あえて自白するならば、二度会うことは美しくない。そう、確かに僕達は決して美しくなどなかった。彼女は人妻だった。それでも彼女は僕に拘泥した。とても罪深い生き物だ。彼女は僕を利用した。そして僕も彼女を利用した。そして最後はあっさりとどこかで糸がプツリと切れてしまった。ゲームはおあいこで、しかし彼女はノーダメージ。結局のところ、男が女を傷つけることなんてできないのだから。彼女のように僕もずるくいられたらどんなに楽だろう?ただ、彼女の側にもまた、ある種の混沌があったのかもしれない。それは僕にはわからない。お互いにわからないことばかり、だからこそ知りたくて交わるのだろう。その代償に、消えない痕がしっかりと残る。どれだけの夜を経ても、背中にはしっかり十字架が刻まれる。そしてジワジワと僕は思い知る。これは “心が傷ついた状態” なのだ、と。

ほら。きっと、人はそんなに忘れないんだ。思い出せなくなるだけで。

2016/11/25→2024/05/10 泥 2

誤解のないように言っておくと、今回のことで後悔すべきところは何ひとつない。

本編は僕の思っていた着地点へと帰結した。すべて僕の手であらかじめ書かれたシナリオだった。ひょっとすると彼女にとっても同様だったのかもしれない。だとすると、これはある種のハッピーエンド(望まれた結末)なのかもしれない。馬鹿な!こんなに狂った喜劇も他にない。出会ったときからこうなるであろうことが予測できたのに、何故だろう?こんなに心がぼんやりしてしまうのは。割れるような痛みもないけど、つける薬も見当たらない。ただ風化して痛みのない傷口になる。でもちゃんと傷痕は残る。大体そんなところだ。

はじめて会った夜から、明くる日の朝がやってきた。僕が不眠症なのはさておき、彼女が眠ったところを一度も見なかった。おそらく眠れなかったんだろう。それでも悪びれることもなく朝はやってくる。朝は罪だ。一筋の閃光のように疾走(はし)った夜も、まるでそれが間違いだったかのように、洗いざらい奪い去ってしまう。でも、いつまでも逃避しているわけにもいかない。僕はホテルの窓を開けた。

タイムリミットが迫っていた。その日やるべき仕事と、留守番をしている犬が、僕を待っていた。二人で円山町のホテルを出て、道玄坂をまっすぐ下る。朝帰りの清らかな光が眩しくて、二人に罰を与えているようだ。渋谷のスクランブルを通り過ぎて、宮益坂を上った定食屋で朝食を食べた。そして僕はそこではじめて彼女の顔をまっすぐ見た。朝食に誘うべきではなかったのかもしれない、とよぎった。素の彼女を見るとハードボイルドで居られなくなってしまう。ただ、はじめて会った時から、一番本当の顔に近い気がした。寝癖が左右同じ方向についていた。

別れ際、宮益坂の交差点で僕達はどこかの国の儀式のような握手をした。朝の光が彼女の瞳を照らし、その時はじめて僕は本当の瞳の色を知った。薄い茶色のような透き通った瞳。本当はそういう色をしていたんだな、と思った。でもそのことは黙っておいた。言ったところで、何かをつなぎ止める糸口になるわけでもない。

帰りながら、ホテルでの一幕を思い出していた。時間さえも消滅しそうな風景だった。夜と朝の交錯地点で、彼女は言った。「また会えるかな」。そのワンシーンで誰もが使い古して、記号になってしまったような言葉だった。答えはよく知っていた。
「また会えるよ」
無責任な言葉。自分でもそれが正しい答えかどうかわからない。でも、そこで何を言っても適切じゃない感じがする。でもこの時は、きっとこれが結びではないだろう、と何となく予感していた。ふたりの出会いが何かの間違いだったとしても、たとえ罪深いものだったとしても、僕達はこの甘く心地よいひと時に、もう少し騙されていたいと思っていたから。

続く

2016/11/25→2024/05/09 泥 1

心と体がバラバラになりそうなまま、朝がきた。

目の焦点が合わないまま、手を伸ばした。夢で見た、あの人の温もりはどこにもいない。仕方なくベッドでぼんやりと天井を見上げる。部屋にはエアコンと加湿器の音が、同時に聞こえる。犬がかすかに寝息を立てている。これはある種の救いかもしれない、と思う。ここに沈黙まで襲ってきたら、とてもじゃないけど生きた心地がしなかっただろう。
このままじゃいけない。何か食べたり、外へ出たりしなくちゃ。生きるための活動をしなくちゃ。でも心と体がバラバラなので、全身が言うことを聞かない。麻酔銃で打たれた熊のように、天井を見上げて倒れている。戦闘不能。そこでようやく僕は自覚した。これは“心が傷ついた状態”なのだ、と。

これまで、僕はとても注意深く生きてきた。傷つくことに耐性はつかない。むしろどんどん弱くなっていく。それは小さな頃からの、沢山のつらいこと悲しいことを経て学んだ。できればもう意味もなく心を痛めることはしたくない。だから出来るだけ、傷つかないようにやってきた。生きるための処世術だ。
でも、どうやったって傷つくときは傷つくのかもしれない。傷つかないように生きるなんて、交通事故に遭わないために外へ出ないくらい馬鹿げた事かもしれない。カジノでギャンブルをしないくらいつまらない事かもしれない。失恋をしないために恋愛をしないくらいナンセンスな事なのかもしれない。

で、そのナンセンスを大真面目にやってきた、今の“僕”。もう、あらかじめ終わりが来ることがわかっている恋愛なんて始めたくない。いつかその手を離すのなら、何のために今、手を繋ぐのだろう?一瞬の気持ちよさ、束の間の心地よさ、寂しさを誤魔化すためのずるさ。機械的にそれをこなすならいいけど、あいにく僕は世界初の恋愛ができるロボットなどではなかった。ちゃんと感情のある生身の人間だ。手を繋げばちゃんとドキドキするし、心臓の音も聞こえている。

手からすり抜けていった、あの人の温もりを思い出そうとする。
人間の記憶とは儚いもので、見た/聞いた/嗅いだ/味わったものは覚えていても、“触れた”温もりだけは記憶のどこにも残らない。誰の温もりも覚えておくことができない。そして風化し、忘れてしまう。肌というのは刹那的だなと思う。何よりも相手を感じることができるのに、何ひとつ思い出させてはくれない。なんという悲劇的な仕様なんだろう。

はじめて会った時の記憶なら、僕はいくらでも具体的に思い出すことができる。
あの日、確かに僕達は同じ夜をつないだ。僕の勘違いでなければ、彼女は僕に会うためにこの街へやってきた。「緊張しちゃってはじめは無表情かも」と彼女が言った。「じゃあ無表情なモヤイ像の前で待ち合わせよう」と僕が言った。どっちが君か僕が見つけるからなんて、そんな冗談めいた約束を交わして。22時15分。僕達はそれを現実にした。

季節が消えてなくなりそうな雨、煙草のにおいがする夜のカフェ、馬鹿みたいに酸っぱいピクルス、無駄に広いソファー席に響く君の歌声。ストロボライトの照明が回る、回る。気が付くと、君がすぐ隣に座っていた。どちらから寄り添うわけでもなく、距離は自然と消滅してしまったような感覚だった。いつでも触れられるのに触れ合わない時間だった。

僕が彼女の手を取って、ワンピースの膝の上で手を繋いだ。穏やかに、緩やかに、たおやかに酔っていた。そうして彼女のイヤリングの形を、左から右へと順に見つめていた。いつでもキスができる距離で耳に触ると、「ちょっ…エロい…」って彼女が言ったのがものすごく生々しくリアルで、あの夜のハイライト。そして僕達は、雨降りの道玄坂を転げ落ちるようにひとつの夜を過ごした。殺風景なホテルのベッドで、肌と肌が溶け合うくらいのセックスをした。あれだけ何度も温もりを交換したのに、でもなんでだろう?どうしても、彼女の温もりが思い出せない。

この話が一ヶ月後に更新されるなんて、なんだか悪い冗談みたいだけど。
メリークリスマス。

続く

2014/9/1→2024/05/07 :) 1

昨日付けで仕事を退職した。今日から僕の仕事、人生における大部分を占める僕の役割を喪失した。一昨日は一睡もしておらず、昨夜は泥のように眠った。そして今、朝を迎えた。

今の僕には、やるべき仕事がない。今まで休みもなく働いていたのに、あるとき急にその役割を剥奪される。窓の外の穏やかな景色を見ていると、ものすごい不安な気持ちになる。でも、こうすることを望んだのは自分だし、選んだのも自分だ。だから信じるのも自分だと思うし、何か新しいことを手に入れるためには、今持ってるすべてを失っても構わないという体でいく必要があると思う。とにかく、僕は次のステージへの切符を手にしたのだ。自由を手にしたのだ。

恋愛についての話をしよう。僕は基本的に、職場女子とメンヘラ女子には手を出さない主義だ。どんなに誘われても、断るようにしている。もちろん、本気の本命なら話は別だけど、一夜限りとか遊びでそういう面倒くさいことになる相手は選ばない。でも、僕は昨日付けで仕事を退職した。だからもう職場の女の子は、ただの女の子だ。前々から色んな子達に誘われたり、アプローチがあったりしたが、基本的に在職中は全部スルーしてきたけど、もうその必要もない。もうずっと僕に対して迫ってくる女の子がいて、僕が辞めることを話すと、「寂しい」と悲しんでくれた。そしてLINEを交換した。今まで何度もアドレスを聞かれたり、デートに誘われたりしてきたけど、ことごとく断ってきたから、彼女はとても喜んだ。僕もやっぱり、いなくなることをそこまで哀しんでくれる女の子がいることは嬉しかった。

一昨日の夜、仕事が終わって彼女と飲みに行くことになった。僕が誘うと彼女は本当に喜んだ。前日には、仕事を抜け出して美容室とまつげエクステに行ったそうだ。彼女ほどクレイジーな女の子もそうそういない。でも僕はそういう女の子と遊ぶのは好きだ。仕事が終わる30分前にはトイレにこもって支度をしているようだった。仕事のやる気の無さが潔い。

職場の下で待ち合って、BARに行った。彼女は真っ赤なスカートをはいていた。僕は、女の人のはく真っ赤なスカートにはひとつジンクスを持っている。これは後に話すことにする。
行きつけのBARで台湾料理と寿司を食べた。ビールを飲みながら、彼女の恋愛観を聞いた。イメージどおり、強烈だと思った。何かアクションを起こそうと思ったら、それに伴うリスクや時間や距離というハードルを一切気にせず、行動に出てしまうタイプらしい。前の彼氏との結婚を向こうの親に反対されて、「大学出てないから」と言われたそうで、彼女はそれからすぐに四年制の大学に入学することを決めたそうだ。その四年間の時間、数百万の学費、その間に自分も4つ年を取り、彼氏に新しい女が出来るかも、とかそういうリスクを考える発想が彼女にはない。“彼との結婚”という目的のために、すべてのエネルギーを爆発力に変えて動いている。そんな感じがした。恐るべきギャルだ。

僕の恋愛観についても聞かれた。たとえば彼女と揃いのマグカップが二つあったとしたら、別れたとき、それをどうするか?と聞かれたので、「彼女の分だけ捨てて自分のは使うと思う」と答えた。彼女は、ありえないという表情で驚いていた。僕はモノに罪はないという考え方なので、彼女との関連があってもなくても、使うものは使うし使わないものは捨てる。そういう合理的な考え方だ。

彼女は酒が強いようだった。あまり飲みこそしないが、それは見てたらわかる。ふたりで何件かハシゴして、終電もとっくに過ぎ、僕は次の日が仕事最終日だったのでそろそろ帰りたかったのだけど、彼女は「帰りたくない、まだ遊びたい」と言う。近頃の女子は積極的すぎる。仕方なく(?)、僕の部屋に連れて帰り、音楽を聞きながらジーマを飲んだ。彼女はエレクトロミュージックの歌い手をしていて、簡単にいうとCapsuleとかきゃりーぱみゅぱみゅみたいなユニットをやっている。だからガーリーポップな彼女の歌を聞きながら、彼女と酒を飲む。フルコース攻めだ。

僕の部屋に来ている時点で、彼女の心はもうハッキリわかっているし、何より今日、彼女は赤いスカートをはいている。その時点で僕に言わせれば勝負は着いているのだ。僕の恋愛ジンクスに「赤いスカートは今夜はOK」というものがある。これは男性諸君は大いに参考にしてほしい。身も蓋もない話で申し訳ないが、諸兄がナンパをしてホテルに連れ込みたいのなら、赤いスカートをはいた女の子に声をかけるのがベターだ。大体赤いスカートって、そんな刺激を植え付けるもので一番大事な下半身を纏うって。相手が闘牛士(マタドール)みたいな男だったらどうするの。下半身めがけて突進してくるよ(笑)赤いスカートをはくということは、動物的に本能的に相手を誘っている、つまりそういうことなんだ。ソースは俺。経験論から言っている。

僕には彼女もいないし、彼女にも彼氏はいないし、やましいことは何ひとつない。たとえ寝ても誰も文句は言わない。でも、よく考えたら僕は明日まで仕事だ。だから明日までは、彼女は“職場女子”ということになる(ちなみに彼女は日曜休みなのだが)。だから僕は彼女に手を出すことはできない。僕のルールなのだ。僕がまずシャワーを浴び、後で彼女がシャワーを浴びて、寝るときは僕の服を貸した。僕の部屋には横になれるようなソファーもないので、同じベッドで寝た。もちろん、キスもセックスも無しだ。と言っても、時間ももう遅かったので睡眠薬も飲まなかったし、結局僕はいろんな意味で一睡もできなかったし、彼女もほとんど眠っていなくて、ふたりでずっと話をしていた。彼女は「ドキドキしないの?」と僕に聞いてくるけど、僕は「友達だからドキドキはしない」と言った。彼女はずっと「ドキドキする」と言っていた。職場にいるときから思っていたし彼女にも言ったんだけど、彼女はとてもいい匂いがするので、きっと生物的な相性はいいのだろう。ベッドの中に彼女の香りが充満してて、いろいろ妄想も膨らみつつ、何だか不思議な安心感があった。冷静に考えると、同じ職場の女の子と仕事帰りに同じベッドで寝ている、という非日常的な光景だが、まあ何もしていないので自分としてはルール違反は犯してない。
次第に窓の外が明るくなって、朝が来た。彼女は目覚ましをかけ忘れていて、飛び起きて支度していた。朝から法事があると言っていた。「まだ一緒にいたい」と言いながら、僕が呼んだタクシーに飛び乗って帰って行った。 僕は一睡もしてないまま、シャワーを浴びて最終日の仕事に向かった。そしてくたくたになって、家に帰り二日分の疲れを癒やすべく、泥のように眠った。そしてこの文章の冒頭に至る。

続く

2016/10/19→2016/11/19 :) 3

「5,000円以内でお互いにプレゼントを買おう」

提案したのは僕だった。彼女はいいね!と乗ってきた。
もうすぐこの街を離れる僕と、僕を見送るガールフレンドの、その日が最後のデートの日。

僕とガールフレンドの関係性に名前はない。一緒にパンケーキを食べたり、夏の打上花火をしたり、一緒のベッドで眠ったりする。でも、恋人同士ではない。ちょっと不謹慎な関係だ。親しくなったとき、僕はもう上京することが決まっていたので、恋人を作ることは考えていなかったし、それは彼女もわかっていた。僕には、遠距離恋愛なんて美しくも儚い付き合い方はできないから。

話をデートに戻す。
二時間後にまた同じ場所で落ち合うことを決め、僕達は一時解散をした。そして別行動で思い思いにプレゼントを探した。お互いに買い物を終えた後、僕は明日の出発のための身支度を整え、彼女の車に乗り込んだ。もうこの車でドライブをするのも最後だな、と思うと感慨深いものがあった。前に僕がサイドブレーキを強く引きすぎて、彼女が元に戻せなくなったことも今となっては笑い話だ。そんなことを思いながら、最後の夜は埠頭にあるリゾートホテルのようなところで過ごし、そこで互いのプレゼント交換をすることにした。

彼女のプレゼントは、変な民族柄の靴下とアメリカの柔軟剤だった。

「お前、おれが臭いって言いたいのw」
「違wこれいい匂いだからepiちゃんに似合うと思って」

どちらもヴィレッジヴァンガードで買ったそうだ。それプラス、ふたりのありったけの写真を詰めたアルバムに、メッセージと絵を添えて渡してくれた。5,000円に収まる範囲で、とても気の利いたプレゼントだと感心した。変な民族柄の靴下は、なぜか彼女もお揃いで買っていた。僕はその場で靴下を履かされ、彼女も同じく靴下を履いた。ホテルのソファーで隣に座り、ふたり同じ柄の足元を並べ、嬉しそうに何枚も写真を撮っていた。僕は、やれやれとそれを眺めていた。

一方、僕の方はというと、今日でお別れになるのでせめて身につけるものをあげたいと思い、アメリカンラグシーでゴールドのネックレスを買った。小さなスマイルのチャームが付いている可愛いやつだ。

彼女はいつも僕へのメールの絵文字に、ハートではなくスマイルを使う。僕への手紙にも大きくスマイルを描く。それがとても印象に残っていたので、迷わずそれにした。当初の5,000円ルールを破ってしまったのは・・バレないことを祈った。その場でネックレスを付けてあげると、彼女は大層喜んだ。彼女の白い肌にはゴールドがとてもよく似合っていて、僕は満足した。そして、僕達は最後の夜をともに過ごした。その時、彼女がたくさんの涙を流したことは言うまでもない。

明くる日の朝、僕は手持ちの荷物をまとめて新しい東京の住所に送り、彼女の車で空港へ向かった。僕は空港での別れというものが本当に苦手である。あらゆる別れのシーンで最もつらい場所、それが空港だ。搭乗ゲートを潜るとき、きっと彼女は泣くのだろうと僕なりに覚悟していた。でも、不思議と彼女は泣かなかった。昨日までの涙がまるで嘘だったかのように、彼女はあっけらかんと笑っていた。そこには、ある種の破壊力があった。

もしかすると、僕が振り返らないでいいように、迷うことなく新天地へ迎えるように、彼女は泣かなかったのかもしれない。そういう女だったのかもしれない。そして後列の人だかりで見えなくなる僕に、彼女はジャンプしながら手を振った。首元にキラリと輝くスマイルのネックレスに、負けないくらいの笑顔で。
きっと僕を見送った後、彼女は車で泣いただろう。でも、東京行きのゲートを潜った僕から、彼女にしてあげられることはもう何ひとつなかった。そうやって僕達は、出会ってから別れるまで何ひとつ約束を交わさずに、あの街で笑ってサヨナラをした。

あれからもう二年―――――。
今も僕の服からは、あの日彼女にもらったアメリカの柔軟剤の香りがする。とても気に入って、あれ以来ずっとリピートして使っている。彼女は僕にたくさんの素敵なことを教えてくれた。思えば僕はいつも彼女に助けられていた。
「あなたなら大丈夫だよ」。新しい場所への不安と恐怖にブルブル震える僕を、裸でやさしく抱きしめてくれた。何もかも振り切っていく僕に「いつでもこの町に戻っておいで」と言った。僕はまたひとつ、背中に十字架を背負ったのかもしれない。
好奇心旺盛なあの子のことだ。今はもうきっと僕のことをすっかり忘れて、幸せに暮らしていると思うけど、あの日あの場所で僕を見送ってくれたスマイルを、僕は今でも時々思い出すよ。

2016/04/30→2016/11/18 :) 0

内臓を引きずり出すようなグロテスクな映画が好きなガールフレンドがいた。そういう映画のどこが好きなのか聞くと、彼女曰く「意味のないグロテスクな話には興味がない、ちゃんと意味あってのグロテスクな話が最高」なのだそうだ。好きな映画は、園子温の“冷たい熱帯魚”。彼女はこの映画を夜中に一人で見たそうだが、少し調べただけで眩暈のしそうな内容だった(検索はしないことをおすすめする)。普段、踊り子や歌い手など華やかな舞台で活躍するかたわら、誰にも見せたことのない刺青のようなある種のフェティシズムを隠し持っていることは何となくわかっていた。

僕達は、会いたい時に会うような“ラフな関係”だった。彼女にとってはラフでもなんでもなくガチだったのかもしれない。そこは僕の問題ではなく彼女の問題なのでよくわからない。僕はたびたび彼女の誘いを断った。彼女はたびたび僕の誘いに乗った。彼女は僕に沢山のことを教えてくれた。いい香りのするアメリカの柔軟剤のこと、Clubで流行っているダンスミュージックのこと、税金対策のこと、この世にマカロンという美味しいお菓子が存在すること、痴女はいるということetc…。

彼女は不思議なことに、会うたびに少しずつ“何か”が変わっていく。それも、前髪を切ったとかメイクを変えたとか、恋する乙女にありがちな生半可なものではない。なんというか、“本来そこにあったものが失くなって、また別のものに変更されるような奇妙な感覚”だった。それは比喩ではない。おかしいとは思っていたんだが…気付いてしまった。いや、気付くのが遅すぎた。或いは気づいたところで手の施しようはなかったのかもしれない。彼女は****************があるたび、自分の顔にメスを入れる。****依存症だった。正にリアル・ヘルタースケルター。彼女の性癖は、僕の理解の範疇をはるかに超えていた。

他にもいろいろ思い出していたら、なんかクラクラしてきたので止めた。そこら辺にいるメンヘラがめちゃくちゃ可愛く見える。彼女は僕にとってあまりに“クレイジーガール”だった。つづく(気が向いたら)

*内容が過激な為、ところどころ伏せ字を入れておきました。

2015/10/15→2015/11/15

「私は私を傷つける人と一緒に居られない」。

最後に彼女はそう言った。そして僕への別れのカードにすり替えた。彼女がこの真実のカードを最後まで残しておいたのは、このカードを出せばその時すべてが終わることを本能的に察知していたからだろう。そして彼女はこのカードを切った。僕に成すすべはない。その時はじめて真実を知った。たとえ何がどうあろうとも、受け入れざるを得ない真実を。

“あなたは私を傷つけた”。言い換えればそういう事なのかもしれない。僕は思った、ならば一緒に居られるはずもないと。僕は時として大切な人を傷つけてしまう。そう、愛すれば愛するほどにそうであった。傷つけないように、包み込むように優しく愛するほど、僕は器用でもないし強くもない。その悲劇的な仕様は、僕がこの人生の中で長らく悩んできたことの一つでもある。それを咎められても、どうやって愛すればいいかわからなくなって、いずれ自責の念に殺されるだろう。そうつまり、A.僕が彼女を愛すれば愛するほど彼女は深く傷ついていく・・と。

やっと腑に落ちた。彼女の最後の言葉でようやく理解した。僕は恋愛において恐ろしく勘の悪いところがある。だから女が本心を吐露したとき、それが終わりの時だと僕も経験的にわかっている。僕は最後まで彼女が許せない「NG項目」を見抜くことができなかった。そのツケが回ってきた、そういうことだろう。

それにしても冒頭の言葉そのものが僕を深く傷つけるわけだが(なかなか忘れられそうにない言葉だ)、それは僕の責任である。ひとえに僕の器量不足だったわけで、素直に傷つくほかないし覚悟はできている。自分に向けられた愛情が、時として自分を傷つける。僕はそんなの全然構わない。愛する人にならどんな目に遭わされたっていい。そういう気概と覚悟の元で恋愛をしているし、そうじゃないなら端っから恋愛なんてしてない。僕を愛してくれるなら、その刃で僕を傷つけてしまってもいいよ。どんな歪んだ形でも受け止めてみせる。でも、彼女にとってはそれがどうしても「許せないこと」だったのだろう。まあでも、それがまともなのかもしれない。僕のほうがおかしいのかもしれない。

真実の言葉を聞いて、ちゃんと傷つけてもらって、ずっともがいていた自分の心が成仏した気がした。それなら仕方ない。どれだけ愛していても、それを彼女が望まないのなら焼却炉にでも放り込んでおいた方がマシだ。どうせ全身全霊で燃やし続けたものだ。跡形もなく灰になれば本望だろう。願わくば、これからの互いの旅路を祈る狼煙に変えて。

8/27→9/27

知らない女の髪の流れや、二の腕のか細さ、華奢な手首と指先、足のつま先、皮膚の色まで、かつての恋人の面影を探してしまう。もう僕のそばにいない女を、誰かの“形”にダブらせて追ってしまう。自分から手を離したくせに、離縁することを選んだくせに、無意識下で勝手にリマインドする。哀れな男だ。

いつかのジャンクションで別れた相手が、もう同じ軌道にいないことをいくら悲しんでも、意味はない。なんの生産性もないし、時間の無駄と言っていいだろう。そんなことはわかっている。それでも僕は、そんなに都合よく彼女の残像を消せないでいる。覚えておくべきことと、忘れたほうがいいこと、その両者がONとOFFで切り替えられたら、どんなに楽だろう。どれだけ合理的に考えたところで、理性などなんの役にも立たない。

世の中には、チャッカマンタイプとホットプレートタイプの人間がいて、いつだって僕はジワジワと熱が上がっていくホットプレートタイプだ。熱しにくく、冷めにくい。滅多に人を好きにならないが、好きになってからは長い。僕のホットプレートはまだまだ余熱を保っていて、そう簡単に冷めそうもない。まだまだ触れたら火傷するレベルだ。もはや何の役にも立たない熱量が、いつまでも僕の中にマグマのように眠っている。大体そんなところだ。

ひとつ確かなことは、僕と彼女の関係は、収束すべきところに収束した。向かうべき地点へと正しく帰結した。これは僕達のひとつの終着点である。それによって、ちゃんとした形で“終わらせる”ことができた。その点は良かったと思う。

あの日、彼女は僕を空港まで見送った。僕は空港で見送られることが本当に苦手だ。なぜなら、僕を見送った相手が、都心から離れた空港からひとりで電車に乗って帰るのを想像すると、耐えがたい寂しさを感じるからだ。空港で寂しい思いをするのは、僕一人で充分だ。彼女は、その僕の性格も重々承知していた。それでも僕を見送ることにした。だから、僕も腹をくくる必要があった。

なんばから南海電鉄に乗り、関西国際空港へ向かう。電車の中で、僕はふたりの写真を撮った。二人とも笑っている。その一枚は今も記憶の中に焼き付いている。そこに写る彼女は、決壊するダムの前触れのような表情をしていた。関空は利用者の割には無駄に設備が大きくて、ひどく落ち着かない。苦手な場所のひとつだ。そこからまた更にバスで移動し、人気のないだだっ広い第2ターミナルで僕達はベンチに座り、飛行機の定刻を待った。彼女はプリンを食べながら号泣し、そのすべてに決着をつけた。僕が搭乗ゲートを潜るまで、彼女は一滴も泣き止むこともなく僕を見送った。僕達が出会って数年間、多くの時を過ごしてきた中で、一番つらい一日だった。そういう場面で、僕は彼女のようなことがうまくできないタイプの人間だから、ある意味ではやっぱり“似合い”の二人だったのだろうと思う。彼女が泣き、僕がその涙を拭う。互いの欠落した部分を補うように、それぞれの役割を果たしていた。皮肉なことに、僕達は最後の最後までパズルのピースのように組み合っていた。空港での涙の別れ、それは僕が最も避けて通りたいタイプの“ゲート”だった。それは僕達に残された最後の通過儀礼だった。彼女は最もつらいタイプの別れを選んだ。僕はいつだって逃げてばかりで、彼女は正しかった。

8/26→9/26

久しぶりにクソ酔った。クソ酔ったらFUCKとかクソとかそんな言葉しか吐かなくなる。儚くなる。僕は酔うととにかく普通じゃなくなるので、それを制御するのに必死だ。一体、酔って何人の友達を失くしたかわからない。たとえば女ってやつは、sexの向こう側に行った途端、急に態度を変える。僕はもうそういう感情論で人付き合いを考えるのは面倒くさくて。まあその辺りは、寝てしまう僕に責任があるのだろうけど。

それにしても、今日は少し喋りすぎた。普段、一日に誰とも会話をせずに終わったりすることもあるので、今日は一ヶ月分くらい会話した気分だ。クソ疲れた。元々、内向的な性格でコミュニケーションが下手というのもあって、酒が入ると饒舌に喋る。別に喋りたいわけでもないんだけど、無駄に空回りしてしまう。まあそれもたまにはいいかもしれない。でもはじめて職場の人間に誘ってもらえて嬉しかったし、残りの福岡のいい思い出になった。

「大切なものを失う感じ」。そんな風に言ってもらえるだけで、今まで自分の全てを賭けて仕事してきたかいがあった。本当に勉強になった。大変なことも辛いことも沢山あったけど、本当に楽しかったし成長できたと思う。仕事ってものは、“必要とされるかどうか”なんだ。この世界の誰か一人にでも必要とされるなら、それは立派な“仕事”だ。それだけで生きている価値がある。世の中のどんな末端の仕事をしている人達にも言えることだ。

8/25→9/25

今日は休みだった。今日が、僕の現職での最後の休日となる。まあ現職を終えれば、人を完全にダメにするレベルの休暇が否応なしに続くので、何も特別なことをする必要はない。引越しに当たって、妹に自転車を譲るので、自転車の整備をしに無印良品に行ってきた。僕は無印良品を愛している。こんな自我や個性の主張でひしめき合うカオスな時代に、無印良品のような世界観があって本当によかった。無印良品のコンセプトは、“現代社会へのアンチテーゼ”。そういうの、格好いいじゃん。僕、そういうの好きだよ。

無印良品の好きなところは全部で700個くらいあるが、簡単にいうと“ニュートラル”なところが好きだ。個性を主張しない。ただモノとしての役割を果たしている。たとえば服。僕は、英語のロゴ入りTシャツみたいな頭のおかしい服を着るのが大嫌いで、たとえば服で何らかの思想を主張するようなカルチャーを忌み嫌っている(そういうロゴ入りTシャツを刷って自作するようなムーヴメントも嫌っている)。僕にとって、服はただ肌の上にあるものだ。それ以上でもそれ以下でもない。別に服で何も発信したくない。ただ生きていく上で、好きなものを着ているだけ。その上で、デザインやファブリックを体感しているだけ。コム・デ・ギャルソンの川久保怜も「服で何かをやるのは好きじゃない。」と語っているけど、本当にそのスタンスに共感する。無印良品の服には、ロゴもなければ個性も主張も感じない。安心して着られる。服だけでなく、雑貨や生活用品においても、なにも疑うことなく無印良品で買うことができる。

小一時間ほどで自転車の整備をしてもらった。チェーンを調整して油を差して、あちこちゆるんでいた部分を閉めてもらう。それだけでたったの600円弱だ。費用は破格で、完全に見合っていない。申し訳ない気持ちになるし、実際「申し訳ない」って言った。いつもの塩顔の草食系男子スタッフの方は、全然全然と言って気持ちよく対応してくれた。母体が大きい無印良品ならではのサービスだと思う。本当にカスタマーに対して良心的だし、とにかく柔軟だし、スタッフは自然体で対応してくれる。そして自転車のパーツも安い。今日聞いてみたところ、チェーンが900円程度で、タイヤは1300円程度だった。しかも工賃も安い。自転車に特にこだわりのない人には、僕は文句なしで無印良品を勧める。全国の無印良品で受け付けてくれるし、性能も悪くないし、なにより自転車本体も安い。交通手段を自転車にする人が増え続けるかたわら、無駄にボッタクリをする自転車屋がはびこる昨今なので、是非。

最後に、僕が無印良品で愛用を続けているものを箇条書きにしておく。

  • パーカー
  • ブロードシャツ
  • 長袖Tシャツ
  • 下着
  • 靴下
  • タオル
  • めがね(現在取り扱い終了)
  • シーツ、枕カバー
  • 収納
  • カレー

まだまだ沢山あると思うけど、これらはすべて無印良品でリピート買いしている。地方の方は、店舗の在庫も薄くて困るかもしれないが、そんなときはネット注文からの店頭受取が最高に便利。取り寄せに一切費用がかからない。しかも店舗で購入すれば、30日間は無料返品も受け付けてくれる。あり得ない。大規模で低価格でここまで柔軟に対応してくれる小売・サービス業って他に類を見ないと思う。無印良品様様ですよ。